父さんの部屋
これぞ、親父のラーメンの味!
私が子供の頃から、山本家では年越しそばならぬ年越しラーメンを作って年末年始に食べるのが恒例行事となっている。 親父がもうろくしだし、ここ何年かは父さんが焼豚作りからラーメンのスープ作りをしているのですが、どうしても「親父の味」が出せずにおりました。
作り方は親父に直に聞いて作ってはいるのですが、どうもスープが水っぽく、子供の頃から食べていた親父のラーメンには程遠いものしか出来ませんでした。スープが違うのか?と思っても、親父は特に変わった物は入れず、鶏ガラ・豚骨・長ネギ・人参・玉ねぎなど、家にある身近な野菜しか入れていませんでした。
親父も寄る年波にはかなわず、夏に肺炎・熱中症を併発して入院。そして秋には入院先の病院で息をひきとり、82歳の生涯を終えたのでした。
親父の葬儀の際、従弟が昔教わったと言って、その時にメモを書いた焼豚の作り方のレシピのコピーを持ってきてくれた。レシピのメモには親父から教わっていない、信じられないような調味料が記されていた。それも大量のその調味料の量に、「間違いでは?」と思っていた。
親父のラーメンは、あっさりとした「東京ラーメン」。私が幼い頃(昭和50年代)には、親父の実家は東京の下町で段ボール箱の製造販売を生業としていたが、もっと以前(終戦直後の頃か?)は蕎麦屋を営んでいたらしい。 蕎麦屋とは言っても、ラーメンなども提供していたようで、親父のレシピは終戦直後、東京の下町、葛飾は堀切の蕎麦屋で提供されていた東京ラーメンのレシピだったようだ。
今年の暮れ、母親を連れて山梨の姉夫婦のところへ遊びに行く際に、義兄さんが毎年楽しみにしていた親父のラーメンをふるまう事にし、暮れに焼豚の仕込みを従弟の持ってきたレシピをもとに作ってみる事に。
出来上がった焼豚を酒のつまみにと切って味見してみる。心配していた味も、問題無い。そして肝心のスープの素にもなる焼豚の煮汁も舐めてみる。タレの味も全く問題なし!「そうか、そういう事だったのか」と信じられなかった調味料を入れる意味が理解出来た。
出来上がった焼豚と、スープのタレとなる焼豚の煮汁を持って、大晦日の午後に山梨へと向かう。姉夫婦の家に着くや、スープの仕込みに入る。作り方はいつも通りに、鶏ガラ・豚骨・昆布に野菜を入れて、沸騰しないように寸胴鍋でコトコト煮る。
元旦の朝、一晩置いたスープで早速ラーメンを作ってみる。 出来上がったラーメンは、まさに「親父のラーメン」そのもの!去年までは水っぽかったスープも今年はコクも出てバッチリ。 肝は焼豚に入れた信じられない量の例の調味料だった事を確信したのでした。
戦後間もない頃なので、材料も当時手に入るありふれた物を使い、美味しいラーメンを作る工夫に脱帽してしまいました。