テンカラ釣り
私の4つある趣味の中の1つが「渓流釣り」です。本格的に始めてからもう四半世紀が経ちますが、20年程前からは、テンカラ釣り1本です。テンカラ釣りは、今ではポピュラーな釣りのジャンルになっていますが、始めた頃は「テンカラ」は非常にマイナーな釣法でした。ですので当初は独学で試行錯誤の繰り返しでしたが、年が経つにつれブームが起こり色々な情報が入るようになりました。 このページでは、私が培ってきたテンカラをご紹介します。
テンカラ釣りとは
日本古来から伝わる毛鉤で渓魚を釣る手法で、延べ竿に馬の尻尾の毛を撚って作った馬素にテグスを結びその先に鳥の羽を巻いた毛鉤(疑似餌)で釣る手法。山間の職漁師の間で一子相伝で伝わってきた釣法なので、仕掛けから毛鉤、細かな釣法が様々あり、地方によって呼び方も違っていたようだ。現在の”テンカラ釣り”と呼ばれるようになった由縁は諸説あり語源は定かではない。日本版のフライフィッシング。
毛鉤との出会い
社会人になり、職場の仲間で渓流釣りが好きな人がいた事もあり、ピーク時は毎週のように岩魚を求め渓に通っていた。まだその頃は餌釣りで、数は釣れたが型はリリースサイズをちょっと超える位のサイズ…。大物を求め、奥只見まで足を伸ばした。
- 刊行が昭和61年の本。当時は参考となる書籍はこれ位しかなかった。
ある時渓から上がっての帰り道、林道でプラスチックケースが落ちているのを見つけた。中にはフライが5、6本入っておりそそくさと持ち帰った。 ふと毛鉤釣りをやってみようかと思い立ち、本屋に立ち寄りテンカラ釣りに関する本を探した。その当時は今ほどテンカラに関する書籍は出ておらず、当時の本屋にあったのが、「正統 テンカラ逆さ毛鉤」くらいだった。とりあえず、この本を買い求め、そこから私のテンカラ釣りが始まった。
上州屋へ行き竿とラインを買った。毛鉤もその当時販売されていたが、どう見ても釣れそうな代物ではなかったので毛鉤の自作にも着手した。5000円程の、フライのタイイングセットと、値段の安い鳥の羽根を何種類か購入して、唯一の参考書となるこの本の毛鉤の巻き方を見て、毛鉤を巻いた。
エサ釣りの方が釣れる?
- 自作の毛鉤で岩魚を釣った最初のパターン。見ての通り不細工な毛鉤でした
道具を仕立てて、いざフィールドへと引き続き毎週のように渓に通ったが、やはりそんなに甘くはなかった。毛鉤を打つものの、思い通りには釣れないため、しばらくは餌釣りの仕掛けも持っていった。そのため、毛鉤で釣れないと、餌釣りに変えたりと試行錯誤が続いた。確か記憶によると、最初のシーズンは拾った毛鉤(エルクヘア)で1匹のみの釣果だった記憶がある。
更に悪循環で、餌釣りで尺岩魚を2匹釣ってしまったりして、なかなか餌釣りから脱却出来ずに2シーズンほど過ごしていた。この頃になるとテンカラでの釣果も少しづつ実績を上げていった。また参考書籍も多く出回り出し、テンカラ釣りのブームが到来。その間、巻いた毛鉤のパターンは数知れず、毛鉤のパターンの試行錯誤が続いた。このままではいけないと思い、思い切って餌釣りを卒業。テンカラ一本に絞った。
必要なのは竿とラインと毛鉤だけ
ちょうどその頃バイクに乗っていて、その時の愛車がOff車のYAMAHA Sellow225で、良く林道トライアルに行っていた。テンカラは、装備も少ないので林道ツーリングにも重宝した。キャンプ道具フル装備で、2度ほど青森の白神山地の弘西林道までなるべく林道を通る下道ルートでツーリングに行った事がある。キャンプツーリングだったので、宿泊地は気の向くまま。まだ夕方明るいうちにテントを川沿いの道端に張り、オフロードブーツとモトパンを脱いで、作業ズボンに沢タビに履き替えテンカラもした。餌釣りだと、エサの調達が厄介だが、テンカラなら、ちょいと夕マヅメを釣るなんて事も可能だ。その時、(ソロで)朝日スーバー林道の途中で一泊した事がある。20km四方が無人地帯で、一人用のテントで一夜を過ごすのはかなりの恐怖だった。別におばけが怖かったのではなく、夜ガサゴソとテントの周りで何者かがうろついていたのが恐怖だった。でも、それ以来一人で山の中で一夜を明かす事は全く平気になってしまった。さすがに渓ではソロはありませんが…。
テンカラにハマる
自作の毛鉤である程度釣れるようになってくると、一つのことに熱中してしまう私は、色々なパターン・色の毛鉤を巻き、様々なタイプのラインを用意して週末は毎週のように渓流へ、そしてオフシーズンは管理釣り場へ通い「一番釣れる仕掛け」を模索しました。 夏の長期休暇は檜枝岐の七入オートキャンプ場をベースにして、テンカラ三昧の休暇を過ごしました。
テンカラを始めて6~7年位で色々試したタックル類も、毛鉤のパターンは現在使っている4種類(逆さ毛鉤・伝承毛鉤・エルクヘア・グリズリーパラシュート)、ラインも長さが自在に調節できて蜘蛛の巣にも強いフロロ3号のレベルラインをしばらく使い、最近は瀬畑氏の作り方で作った蛍光ナイロン糸のより糸で作ったテーパーラインを常用しています。
テンカラフィールドが近い人がうらやましい
所帯を持つと、金銭的にも時間的にも渓流へ通う事が難しくなり、仕方がなく近所のダムに生息しているブラックバス&ブルーギルを相手にテンカラ竿を振るようになりました。毛鉤は通常サイズだと飲み込まれてしまうので、フライの#4番フックを調達し、バス用の毛鉤を作ったが、さすがに空気抵抗が大きすぎて5号のレベルラインでも飛ばせなかった。 そこで、タックルボックスの奥に眠っていた渓流では重くて使えないフライラインを引っ張り出し、夕マヅメのバスフィッシングを楽しみました。
毛鉤仲間とともに
なかなかテンカラ釣りに行けない時期に職場の異動があり、同僚にフライマンを2名発見した。同僚のフライマンとは釣行レポートにも毎回登場しているボス&阿曽井氏である。二人は強行日帰りでフライフィッシングに行っていたが、キャンプも兼ねてシーズンオフの鹿留にお誘いした。 元々呑兵衛の二人、夜のキャンプ&焚き火が気に入ったようで、翌シーズンからは月一で釣行に行くようになった。3人になればガソリン代と高速代はワリカンになるので、私の小遣いでもテンカラ釣りに行く事が可能に。のちに同じ職場に異動してきたスージーも加わり、月1の釣行が定例となり、最近は高校生になった息子のコースケを率いて、釣行に行っています。